「教材」とは大人のものか、子供のものか。プログラミング教育から考える「教材」の視点。
「教材」は教育の目的を達成するために用いられる素材・材料というのが一般的な理解です。
授業や学習に使用する道具といえます。
漢字の並びから、教える(ための)材料とされがちです。
使うのは大人というより、子供でなければいけませんね。
子供が使う、学ぶための道具であること。大人が、教えるための材料だと考えるのはよくないことです。
大人の都合や意義が優先され、子供にとって有効に使えないようでは疑問が残ると言わざるをえません。
「教材」の漢字並びから浮かびがちな、教える(ための)材料という認識は避けたいものです。
教材は大人のものか、子供のものか、一度立ち止まって振り返ることが必要です。
子供視点の言葉選びを経た「学ぶための道具」、この考え方が「教材」に相応しいのではないでしょうか。
- 教材は大人のものか、子供のものか
- おまけや付録に対する子供たちの好奇心
- 「道具」から子供が連想するのはドラえもんの四次元ポケット
- 子供が好きそうな仕掛けが用いられた「学ぶための道具」
- 学ぶための道具となるSPACEBLOCK(スペースブロック)
教材は大人のものか、子供のものか
学校教育や私塾でも前年に倣(なら)い同じ教材を使うことが通例です。
一年ごと抜本的に見直すことは非現実的でしょう。
数年に渡り使える教材であるから導入するという側面も、もちろん大事なことです。
それでもいつかの時期、子供の実生活や環境に合わなくなるタイミングがきます。
子供が興味を持っているという理由で導入された一面が、十数年経つと子供には響かなくなっていることが多々あります。
世の中の変化や実状に即して、学ぶための道具は数年に一度大きな変革が起こることは自然なことです。
子供の興味対象は、大人の時間軸より素早く細かに変化しています。
大人にとっての10年後からの振り返りと、子供にとって10年後からの振り返りの差は大きいものです。
10年後の2032年に、子供が早くに学んでおけばよかった、会得しておくべきだった、などと思わないような学びの時間を作ってあげたいと思うのです。
余裕をもって子供の豊かな好奇心に寄り添いながら、普遍的な大切なことも伝え続けていく視点で、学ぶ道具について考えていきたいものです。
おまけや付録に対する子供たちの好奇心
雑誌や書籍とはじめとした子供向けの本などには、付録やおまけが付くのが定番です。
教育上よいだろう、必要だろうという本体ではなく、直感的・視覚的に子供が魅力を感じるような仕掛けが付録やおまけにはあるものです。
大人に押し付けられるものに対する子供としての自我から発せられる拒否反応。
逆に大人がダメだ!だというものに対して “なんとかその禁止をかいくぐって我が物にしたい”などという欲がもたげるものです。
2~3年でキャラクターやモチーフが変わることが当たり前になっています。
その時代の子供が初めて目にするキャラクターの知識は大人より先んじているものですね。
キャラクターの特徴や、似たキャラクターとの違いを自慢げに大人に教える子供たちの目は輝いています。
幼少の子供が知識を得た喜びを隠せずに、誰彼かまわず講釈をたれる場面。
キャラクターを説く言葉には、子供の年齢相応とは思えない単語と語句、難しい考察が含まれているものです。
親御さんは、照れ恥ずかしさと共に、少し誇らしげに目を細めることでしょう。
「教えるための教材」ではなく「学ぶための道具」として子供自身の自発的な興味が優位であるという一例がうかがえます。
「道具」から子供が連想するドラえもんの四次元ポケット
「♪たらららったらー」
お馴染みのジングル(お約束の短い音源)が流れお腹のポケットから取り出されるドラエもんの便利道具。
概ね、のび太くんの願望を叶えたり、ピンチを救うために道具が登場し物語が展開されます。
のび太くんの願望や困りごと、思い付きが無ければ道具は出てきません。
ときには道具の使用が、のび太くんの期待にそぐわない結末へ向かうことも学びとして記憶に深く残ります。
自分の目的を叶えるために、適した機能のあるものを欲するという子供の本能と合致していることが名作として今なお残る理由だと思うのです。
ドラえもんから、のび太に教えたい目的があり、それに沿った道具が冒頭に登場し物語が進むのでは大ヒットしなかったことでしょう。
のび太くんの欲や窮地、状況がまずあり、そこに合致する道具が登場するからこそ、観る子供たちの好奇心に直感的に伝わるのではないでしょうか。
子供自身に目的があり、それを叶えるために道具があるという順列は、見逃しがちですが、学びの道具を考えるうえで深い意味合いを含んでいるようです。
四次元道具登場後の顛末、副作用、他登場人物への派生など一つの物語から広がる波及も見逃せませんね。
子供が好きそうな仕掛けが用いられた「学ぶための道具」
小学校からのプログラミング教育必修化が始まり、プログラミング教育を学ぶための道具が注目されています。
時代によって、遊びや楽しさを通し、子供の学ぶ道具は変化してきました。
義務教育必修化の教材ではないにしろ今でも言葉の残る伝統的な子供遊びがたくさんあります。
わらべ歌、遊びうた、凧あげ、けん玉、おしくらまんじゅう、缶けり、お手玉、おはじき等々。
その時の楽しさに加え、道理や上達、仕組みや組み合わせ・選択を学んだことでしょう。
私が幼少の頃の娯楽はテレビとテレビゲームが代表格でした。
ほどなくしてパソコンが普及していきます。
テレビやテレビゲーム、パソコンに夢中になった個々の一部は、職業として進んでいきます。
どれも義務教育必修化されてカリキュラムで学んだものではありませんでした。
教えるための材料ではなく、学ぶための道具として、しかし子供目線で興味を持つ仕掛けが忍ばせてあったということです。
PCやスマホを利用して子供が楽しむこと・遊ぶことが、のちの就業や趣味・人生に関わっていく時代です。
日本のプログラミング教育の遅れには、日本的文化による下地が引き合うように作用してしまったように思われます。
「家でゲームばかりせずに身体を動かして遊べ」「一人で引きこもることないよう友達と外へ」などはけっして間違った思考ではないよう思うのです。
今では、ひと昔とは異なりネットを通じたコミュニケーション能力も必要な新しい時代へ突入しました。
コンピュータ操作できることが友人を増やし、仲を深めることになります。
外国語と触れ合う機会は、親世代では想像できないほど増えていくでしょう。
スポーツの上達に、正しい情報を上手に獲得する術が役立ちます。
コンピュータを上手に使うことが、身体を弱くしたり、外で遊ぶ機会を減らしたり、友人を遮り引きこもる理由付けにはならないという意識変化が必要でしょう。
学ぶための道具となるSPACEBLOCK(スペースブロック)
技術進化により、複雑な難しいことが簡単な操作で出来るようになりました。
ボタン一つで複数のことが順序立てて動かせる現代です。
これからの時代はこの傾向がもっと強まっていきます。
一つの操作により、次の操作を約束させることがプログラミングの大きな一面。
あらかじめ、前もって、次の作動、さらにまたその次の作動を指示しておくことで、それぞれが関連して動いていく楽しさ・面白さを体験しながら学んでいくSPACEBLOCK(スペースブロック)。
機械操作を体験し会得し、自分で動かしたという自信は、順序立てて日常生活を送る習慣や想定外の場面での解決能力も育みます。
大人の側から押し付けのように使わせる材料としてではなく、子供自身が自発的に楽しみながら遊びながら、発想や想像力をカタチに残す小さなマイコンボードから無限大の可能性が拡がります。