「プログラミング教育」の必要性は、 異なる二面性から導き出された指針だと思うのです。
「プログラミング教育」が小学校から取り入れられた理由のひとつとして将来の職業選択肢が広がる点が挙げられます。
成長分野であり、世の中に役立てる期待の大きい市場だという現実があります。
コンピュータとの関わりが薄い職業に就いたとしてもスマホやパソコンを使用する場面が多いことは容易に想像されます。
そしてその反面、ITとは関わりのない職業に就いたとしても、プログラミング的思考には学ぶべき要素が多いことも見逃せません。
起きたことを正しく理解し、次の行動を発想し選択する力を育んでいきます。
IT関連へ進む上で能力向上というメリットがひとつ。
もうひとつのメリットはIT関連と離れた将来でも、組み立てて正しくものを考える力を養えるというメリットです。
実はこの後者の方がプログラミング教育導入の必要性として重視されるべきだと思うのです。
言葉を話す、文字の読み書きをするのと同じようにパソコンやスマホを使うことが当たり前となる時代へと進んでいます。
皮肉なことにコロナ禍における教育現場では、家庭ごとに異なるリモート学習対応力への大きな差が浮き彫りになりました。
テレビやネットニュースで話題になったこともあり、その必要性を痛感された親御さまも多かったのではないでしょうか。
- IT関連の習得は将来の選択肢を増やす
- ITを職業とせずとも、その考え方は学ぶに値する
- 毛嫌いや機会喪失によるコンピュータを使えない子供をなくす
- 「プログラミング」という独立した教科ではない
- 皮肉なことにコロナ禍で浮き彫りになった必要性
- SPACEBLOCKから始まる家庭内プログラミング
IT関連の習得は将来の選択肢を増やす
便利でスピード化著しい現代の生活にコンピュータは欠かすことのできない道具になっています。
生活圏という概念は、数十年前とは大きく異なっているのではないでしょうか。
買い物は行くのではなく、届けられる。
コミュニケーションの相手は対面したことのない相手が多くても不思議のない日常です。
昭和元号に社会人として活躍された世代にとって、冷静に振り返ってみるとどこでもドアやタイムマシーンが備わっているような時代の変化を感じるのかもしれません。
今の子供たちが大人へと向かう十年後には、想像を超える更なる時代の変化があることでしょう。
やりたい仕事や就きたい職業で競う相手、仲間や同志は国境を超えた世界中が対象となっているはずです。
子供時分からのIT教育は残念ながら日本は遅れている現状があります。
幼少からのプログラミング教育に力をいれるのが早かった諸外国に追い付け追い越せ、という現状であることは認識しておくべきでしょう。
ITを職業とせずとも、その考え方は学ぶに値する
ITやコンピュータという単語とは離れた人生を過ごしたい、過ごさせたいという人たちも一定数いるものです。
機械を使わずに過ごす難易度は年々高まっていきます。
プログラミング教育には物事を組み立てる力、組み合わせて考える力を養う狙いがあります。
この「考える力」を養うために、コンピュータの仕組みを題材としましょう、との理解がプログラミング教育の必要性へつながります。
スポーツや芸術、農業や自然志向などの一部、非ITのスタンスも社会的に必要な存在であると思っています。
コンピュータを人並みに使えるうえで、あえて非ITでの活動なども思考に深みを感じ、大成できるのではないでしょうか。
一見、ITとは対極にあるような印象のスポーツ選手、芸術家、自然志向の中にもデータ分析や解析にITスキルの高い人物は散見されています。
周囲にITの専門家を配したチームとしての活動も広く知られているものです。
プログラマーを多く輩出させることのみに傾倒せず、子供自身の成長のために必要な、組み立ててものを考える力、組み合わせる力は一個人として必要な能力であることは疑う余地もありません。
機会喪失や毛嫌いによるコンピュータを使えない子供をなくす
子供たちにとって意識下での日常というものがあります。
現代の日本では言葉と読み書き、見聞きや身だしなみなどがその類いでしょうか。
一定の年齢になれば最低限のコンピュータスキルもその範疇に入ってきそうですね。
小学低学年の時点で鉛筆・消しゴム・ノートのようにパソコン・スマホなどを保持させるところまではいきませんが、親御さんの使用など各家庭にはあるものだと目算はされているのでしょう。
昭和の頃はクラス個人宅の電話番号を一覧した連絡網が配られていました。
いまではラインによる一斉配信、ホームページ上での告知へと様変わりしています。
このような子供の意思下での日常や教育現場との関わりにもコンピュータが欠かせないものとなっているのです。
子供の成長の過程において、コンピュータへの毛嫌いや使わないという選択にデメリットの作用がある現状も見逃せないのです。
「プログラミング」という独立した教科ではない
「プログラミング」という独立した科目が追加されるわけではありません。
独立した教科ではないことに、どこかホッと感じる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
科目になっていないのであれば軽視してよいのではないか、という勘違いがありそうです。
実は国語・算数・理科・社会・英語、音楽などにも横断的にプログラミング的思考を学び、用い、習得していく指針なのです。
プログラミング的思考が不得手な子供は、単元それぞれの習得にストレスがかかることでしょう。
逆にプログラミング的思考をスムーズに理解し使える子供は、単元を深く早く理解できるメリットにつながります。
組み立ててものを理解できる力は、子供特有の自由な発想を表現する能力を引き出していくものです。
独立した教科ではないからこそ、言葉を話す・文字の読み書きのように、どの教科にも横断的に関わってくる、とても重要な位置付けだと言えるのです。
皮肉なことにコロナ禍で浮き彫りになった必要性
コロナ禍に成長期を過ごす子供たちは、大人の動揺を敏感に察知していることでしょう。
急激に進むリモート化や、対面を避けて遠隔で進む日常を経験した稀な世代だといえます。
学校でのリモート授業導入も記憶に新しいですね。
子供のプログラミング教育導入については、コロナ禍以前より行動されているものでした。
2016年の公的発表で謳われているのですから、さらに数年前より準備されていたものでしょう。
感染拡大状況や地域性、学校ごとの環境と現実、各家庭での考え方や事情が浮き彫りになりました。
目に見える現場行動以外の点でも、組み立て思考・組み合わせ思考は生かされていました。
疫病が流行すると、なぜ外出自粛をし、手洗い・うがい・消毒が必要なのか。
多くの家庭で子供自身が自主的に取り組むよう一生懸命に諭されたことでしょう。
風が吹けば桶屋が儲かる、のように一つの事実から次への影響、さらなる波及へと話し説いて、その行動を繰り返すうちに習慣化されています。
プログラミング的思考に則った、新しい日常を過ごしているといえるのです。
ウイルスと自分は何の関係もないなどと言い切る人は、ほぼいないと言って差し支えないでしょう。
きっと数年後・十数年後にはコロナ禍を幼少に過ごした年代として〇〇世代とネーミングがされるのではないでしょうか。
SPACEBLOCKから始まる家庭内プログラミング
子供はどんな未来をみるのだろう、どんな将来をみせてくれるのだろう。
教育には崇高な役割があります。
教育は学校での進捗と、家庭での取り組みがあります。
どちら一方が欠けても子供の成長と将来に大きな影響を及ぼすことが多いでしょう。
小学校で近年より新しく導入されたプログラミング教育ですから残念ながら、まだ成熟しているとはいえない現状があります。
子供自身に刷り込まれた下地がないうえに、教育現場でも新しい取り組みなわけですから、学校・教師の試行錯誤も起こることでしょう。
入念に準備されたカリキュラムとはいえ実施していく上での戸惑いや、不十分な点が出てくることも予想されます。
SPACEBLOCK(スペースブロック)は家庭で、遊びながらゲーム感覚でプログラミングと触れ合える子供の使用のために開発されたプログラミングツールです。
学校教科の進捗を想定して使いやすさに特化し日本国内で設計されました。
コンピュータ操作に早くから触れることで毛嫌いや機会喪失を回避します。
子供自身が楽しみながら作り上げていくデザインやカラフルな電飾の動きは使い込んでいくうちにプログラミングと子供自身の可能性を無限大に拡げていくことでしょう。